第一部〜青年は荒野をめざした〜

鉄のカーテンの国(旧ソ連)アウフ・チャップマン(ストックホルム)ボヘミアンの街(パリ)
はじめての皿洗い(ロンドン)サンドイッチ職人(ロンドン)アフリカをめざして(ロンドン)
|魅惑の歴史遺産(イタリア)|
アラブな人たち(アルジェリア)タイムスリップ万歳(モロッコ)


【7】魅惑の歴史遺産(イタリア)

 地獄のヒッチもさすがに限界にきていた。隣の運転手は眼を開けているよりも閉じている時間の方が多くなってきていた。正しく言えば「ほとんど眼をつぶっている!」
 と、その時、急にトラックの運転を止めた。目の前にはロッジ風のペンションがあり、運転手は言った。
「今晩はここで泊まることにする」
ドアを開けてさっさとペンションのフロントに向う運転手のオッチャンを呆然とながめていた。
「・・・泊まる、って言われても・・・オレは助手席でどうしろと言うんだ?」
これから先の事を考えると無駄な宿泊費は節約したいし、まさかヒッチハイカーの自分の宿泊まで面倒はみてもらえないし、第一もうオッチャンは奥に入ってしまって見えなくなってしまった。「仕方ない、ここでおさらばだナ・・・」そう考えて助手席から外へ出た。
辺り一面真っ暗で地面は完全に雪に覆われている。とぼとぼと歩き始めたが、今夜はここで野宿するしかないと覚悟し始めた。
しかし野宿はいいけど、こんな雪の中で眠ったらそれこそ明日の朝には凍死体になってるかも知れない。以前にヒッチハイカ−同志の話題で‘ノルウェーの雪の中で野宿して翌朝死んでいたアメリカ人’の話しがあったのを思い出した。
 とにかく地面に雪が無くて、屋根のあるところを見つけねばならない。しばらく歩いていて、ようやく民家らしきものを発見した。垣根を乗り越えて庭に侵入するとベランダ屋根が目についたのだった。
 「もう、ここしかないなあ・・・これって完全に不法家宅侵入罪だけど」真夜中に他人の庭先に侵入して寝るなんて、見つかったらヤバイぞとは思ったが、死ぬよりマシだと考えて強行する事にしたのだった。
 翌朝は人気のない内に見つからないよう立ち去らねばならないので緊張感が走ったが、無事に眠れた安堵感とちょっとした犯罪者の気分だった。


左:インスブルックのユースホステルでヒッチのプランを練っている筆者/右:ヨーロッパの雪景色

 ミュンヘンからオーストリアのインスブルックに入った頃、不覚にも熱を出してしまった。さすがに真冬の雪中での野宿がこたえたのか体中が悪寒に襲われて震えが止まらなかった。
 しかし、それでもヒッチのペースを遅らせる訳にはいかないので(お金が少ないから早く物価の安いアフリカに入らないといけなかったのが理由だった)日本から持参した「ルル」とビールを混ぜて飲み、一晩で直してオーストリアを後にした。(この時の効果に感心した私は、今でも風邪をひくとこの方法を使っている)

 オーストリアから北イタリア地方に入り、その後ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリと街々を訪れたのだが、イタリアはさすがに素晴らしく美術的で歴史遺産を感じさせる街ばかりだった。
 特に感動的だったのは、オーストリアから国境を越えて北イタリアに入ったばかりの名もない村で一夜を過ごした時、そこで目にした光景だった。
 ヒッチで捕まえた車が山岳地帯からなだらかに北イタリア地方に入ってゆくと、突然雰囲気が変わった事に気がついた。何となく中世ヨーロッパの雰囲気が漂い始めたのだ。お城やモニュメントなどの特別な派手さはなく素朴な田舎の村なのだが、道には石畳が敷かれ、狭い車道を走れば何度となく石造りの短いトンネル門をくぐり抜けた。夕闇のせまる村を走り抜けたのはほんの数分間だったが、これまでチロル地方を走ってきた風景とは全く違うものだったので印象的だった。

 そこは地図上にも記されていないような小さな村で、時間も遅くなっていたので車をおりて運転手に別れを告げ、さっそく宿泊先を探した。たぶん一軒しかないであろう民宿を宿泊先に決めて、荷を下ろし夕食をとるとホッとした気分になる。村内を散歩してみようと外に出るとかがり火のゆらめく灯が目についた。灯りに誘われるままに石造りの建物に囲まれた四角い広場に向うとそこは村人の集う憩いの広場になっていた。
 それほど広くもない空間だが、ところどころにタイマツの灯がゆらめき、端々にテーブルと腰かけが置かれている。夕暮れ時の憩いの場には老若男女が集い、それぞれに談笑していた。
 遠くの空から時おり鐘の音が響くその石畳の空間に立って、私は日本で観た「ロミオとジュリエット」の映画のワンシーンを思い出していた。広場の一角から馬車の蹄の音が聞こえてきそうな、野外オペラでも始まりそうな実にクラシックな光景だった。後にフィレンツェでも感じたが、このように素朴な日常生活の中にクラシックな美が自然の形で息づいているという事が私には印象的だった。


ルネッサンスの発祥・フィレンツェは古典の香りが漂っている。

 ミラノは現代感覚の色彩が所々に見受けられる素晴らしい街だった。インテリアやファッションなど街のショウ・ウィンドウを眺めていると日本では見る事のない色彩のセンスを感じられた。
 全体的にビビッドな感じだが、その中にやさしさやユーモラスな意気を感じた。帰国して後にブルーノの絵本を見た時に、私は改めてミラノで出会ったイタリアン・カラーの絶妙な配色を思い出したものだ。
 ミラノからフィレンツェに着くと、今度は一気に古典の世界に入り込んでしまう。私はイタリアでの興味はローマの「フォロロマーノ遺跡」でシーザーやクレオパトラと同じ場所に立つ事だけで全く予備知識もなかったので、フィレンツェの歴史的遺産を目の当たりにした時は驚きと感激があった。「ドゥオモ」と呼ばれる寺院が代表的なものだが、私は「ポント・ベッキオ」という庶民のお店が並んだ橋上生活の一角に味わい深いものを感じた。とにかく隅から隅までメディチ家の伝統遺産に埋もれた街で、私は3日程いたがとても味わい尽くせるものではなかった。


左:ミラノ郊外で子供達がフットボールをしていた。やはりイタリアではフットボールが盛んだ/右:ドイツ人夫婦のベンツでフィレンツェへ

 いよいよ念願のひとつだったローマに到着した。イタリア中部ではヒッチハイクが困難なので思い切って鉄道を利用したために到着したのは映画「終着駅」で有名なテルミニ駅だった。ロンドンを出てから長らくヒッチの連続だったので、久々に列車で駅に着く感じを味わったものだ。
 ローマのユースホステルに荷を下ろすとさっそく街に出た。ローマはローマで、これまでのイタリア各地とはまた雰囲気が違っていた。パリのような洗練された感じは少なく人間臭さの漂う街だったが、それでもやはり大都会の華美は漂う。それに映画や写真集で何度となく見てきたお馴染みの名所旧跡が、至る所に目につくところはさすがに歴史の都だ。
 「ローマの休日」で有名なトレビの泉、スペイン広場。カラカラの浴場やコロッセオの競技場。そしてついにたどり着いたローマ帝国の宮殿遺跡 フォロロマーノ。
 何故、私がローマの遺跡にそれ程愛着を感じているのか自分でも分からないが、中学生の頃からギリシャのパルテノン神殿やフォロロマーノの写真を見るたびに心惹かれていたのだった。私はこの遺跡群の中に腰を下ろし、石の柱や壁を手で触りながら瞑想にも似た時間を過ごしていた。


フォロロマーノの遺跡群。時空を越えた静寂の中にシーザーやネロ皇帝の息づかいが聞こえるようだ。

 ローマではついでにバチカン公国にも足を延ばした。ローマの中にある一種の独立国。キリスト教カトリックの総本山とでも言うべきバチカンはテレベ川を渡ったローマ市のはずれにあった。大きなアーチに囲まれた広場には世界中から信者や観光客が集まり、その中央奥にはサン・ピエトロ寺院がそびえ立っている。当時の私にはわからなかったが、この小さな独立国家がヨーロッパを動かす権力の中枢であると知っていたら、もっと潜り込んで観察してみたかったと、つくづく悔やまれた。
 何しろ当時の私は無知ゆえの‘めくら蛇に怖じず’で、結構とんでもない所に足を踏み入れる事が多かった。ソビエトでも一般観光客の行った事のない所に迷い込んだり、ストックホルムでは町外れに設備された「立ち入り禁止の核シェルター」に入り込んでしまったり、アルジェリアの田舎ではアラブゲリラのグルーピー(親衛隊)みたいな連中に一宿一飯のお世話になったりもしたのだった。こんな調子だったから、もしこの時にバチカンに興味が湧いていたら、きっと何か面白い観察が出来たかも知れない。


(上)左:古代格闘競技場だったコロッセオ/右:ローマの休日のワンシーンで有名なスペイン広場
(下)左:トレビの泉にはさい銭がいっぱい!/中:バチカン公国の入口、中央にサンピエトロ寺院が見える。/右:カラカラ浴場跡


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